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\仏教のアレコレ/

用語解説

「お経」とは

仏教の教えとは、お釈迦様が弟子に対して説いた仏様の教えを集約したものです。お釈迦様が存命の際にまとめられたものではなく、お釈迦様の死後、弟子たちが、それぞれお釈迦様から聞いた説法を持ち寄り、まとめたものの集大成がお経です。弟子たちがお釈迦様の説法をまとめていた当時は、現代のように紙が普及していたわけではなく、大きな葉っぱに文字を書き、その葉っぱを経糸(たていと)で綴り合わせることで経典としていました。ちなみに経糸のことをサンスクリット語で「スートラ」といい、このスートラのことを経典と訳します。つまり、経糸自体が「お経」と呼ばれていたということです。

「本尊(ほんぞん)」とは

本尊とは、寺院の本堂に安置され、信仰の対象として最も尊重されている中心的な仏像のことをいいます。日本における仏教においては、各宗派ごとに本尊が決まっていることがほとんどで、例えば臨済宗や曹洞宗は釈迦如来、浄土宗や浄土真宗では阿弥陀如来と決まっており、宗派が同じであれば、お寺によって本尊が変わることがありません。しかし真言宗の場合は、お寺によって本尊が異なります。まず、真言宗における根本本尊は大日如来です。大日如来は密教における最高の仏さまです。しかし、同じ真言宗のお寺でも、本尊としてお祀りされている仏像は、阿弥陀如来や不動明王など、大日如来以外の仏さまとされていることが多々あります。それというのは、大日如来は時と場所に応じて姿を変えて現れるとされており、それぞれの如来・菩薩・明王は大日如来の化身とされているからなのです。真言宗のお寺にお参りすることがあれば、ご本尊さまがそのお寺とどのような縁があるのか、お寺さんに聞いてみるのもいいかもしれません。

「六波羅蜜(ろくはらみつ)」とは

仏教において、仏様の境涯に至るための6徳目の修行・善行のことです。 彼岸の期間中においては、中日を除く6日間に、一日一徳目を実践するとよいと言われています。 ①布施波羅蜜(ふせはらみつ) 財施・法施・無畏施の3つからなる、見返りを求めない善行のことです。財施はお金や所有物等の財産を与えること、法施は正しい教えを相手に伝えること、無畏施は相手の恐怖を取り除き、安心を与えることです。 ②持戒波羅蜜(じかいはらみつ) 戒律を守ることです。 ③忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ) 苦難に耐え忍ぶことです。 ④精進波羅蜜(しょうじんはらみつ) たゆまず仏道を実践することです。 ⑤禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ) 瞑想によって心を落ち着け、注意力を高め、集中力を維持することです。 ⑥智慧波羅蜜(ちえはらみつ)=般若波羅蜜(はんにゃはらみつ) 真理を見極め、悟りを完成させることです。

「法事」について

自分の家族や親族が亡くなった時、私たちは枕経、通夜、葬儀を行います。その後、初七日から四十九日までの七日参り、百ケ日、一周忌等の法事を行っていくこととなります。それではこの「法事」とは何のために行うのでしょうか? 「法事」とは、「追善供養」を行う仏事のことを意味します。 「追善」とは、「追福修善」の略で、故人の冥福を祈るために、善行を修することです。つまり、亡くなった家族の供養のために僧侶を招き読経すること(=善行を修すること)で、成仏を進めることが「追善」です。 「供養」とは、「供給資養」の略で、故人に供物や供花を捧げることを意味します。また、法事の場に集まった人々に対してもてなしを行うことは功徳を起こすこととなり、この功徳が故人にも廻っていくこととなります。 つまり「法事」とは、故人のために祭壇(家庭の仏壇やお寺、斎場の壇)に供物を供え、僧侶とともに皆でお参りすること、また食事等のもてなしを行うことによって発生する功徳を以って、個人の冥福を祈ることなのです。 この世に生を受けるとき、親なしに生まれてきた人はいません。私たちが今こうして生きているのは、先祖より連綿と続いてきた命の流れであり、先祖は私たちの生命の根本です。いわば根っこであり、その根を枯らして枝葉の栄える道理はありません。法事をすることによって、自らの生命の根を培い、現在の生活が心豊かなものとなるのです。

六波羅蜜

これからも仏教やお寺のアレコレを、分かりやすく解説していこうと思います。

皆さんが疑問に思っていることや、聞いてみたいことなどお気軽にお寄せください。

北海道広尾郡大樹町 高野山寺
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